久しぶりに~^^

久しぶりに高度自給自足時代の夜明けさんのこの記事を読んでました~↓↓↓




内容は読んでいただくとして~、僕もいくつか~?????ってところがあったんだよね~^^;


それは松方正義が長州になってることで~、確か彼は薩摩だったような~^^;


ここが良く分からない~^^;


まぁ、そこらはどうでもいいことかもしれないが~、コメント欄に名無し先生のコメントがある~↓↓↓






大内氏―毛利氏―長州と時代に伴い表看板が変わりますが、維新時にも財政は非常に豊かであった様です。大内から毛利へと変わる際には、秋月家が重要な役割を果たしておりましたね。大内氏をウィッキーで見ても2通り出ているようで、こちらの方が実態が分かるでしょう。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E6%B0%8F 

江戸時代は中央集権体制で、豊かな中央と貧しい外様が基本構図と思いがちですが、長崎と大阪(堺)だけは別経済が栄えた様ですね。そして外様でも何故か豊かな藩がいくつか存在した。薩長土肥には入りませんが、伊達藩、加賀藩などが、その好例です。これらに共通する要素はキリシタンキリシタン禁止令の裏でイエズス会士が行っていた活動を、カラスの金庫番から聞いた事がありますが、主に密貿易の中繋ぎだったようですね。しかも、その活動拠点は、特定の寺社仏閣で、冷泉家が重要な役割を果たしたとの事です。






高度自給自足時代の夜明けさんのサイトを読んでると~、よくイエズス会が出てくるんだが~、薩長土肥の他にも伊達藩、加賀藩とかね~、隠れキリシタン勢ぞろいって感じですな~^^;;;



まぁ、鎖国なんてものは、密貿易でこういう連中だけに儲けさせるためのものだったんだろうね~^^;;;



しかも表向きはキリシタン禁制みたいなことしておいてね~^^;;;



ここらが徳川イエズスなんて言われるところなんだろうね~^^;;;



そしてここね~↓↓↓






活動拠点は、特定の寺社仏閣で、冷泉家が重要な役割を果たしたとの事です。






寺社仏閣、ろくなもんじゃね~な~^^;



いまでも免税で特権階級だからね~~~^^;;;



それと天皇が京都から東京に移った時に貴族連中も移ってきたらしいんだけど~、この冷泉家は移ってこないというか~、移ってこれなかったのか~?????



まぁ、この貴族も名無し先生のコメントで何度か出てきてますからね~^^;;;



例えばこの記事のこのコメント~↓↓↓










尚続くネオ満州国計画
卍党を主体とするネオ満州国計画を断念する様、彼らの縁者を通し警告を発して来ましたが、残念ながら止める気はない様です。狂信的になっている者達は、もはや古くからの縁者の忠告にすら耳を傾けぬ譲許の様です。この動きに日本側で賛同、協調しているのは、いわゆる新興宗教、大本から発生した新興宗教を調べれば、そのメンツは皆さんでも確認する事が出来ます。こうした諸派は、ここ五年程これらの動きの為に、日本国内で資金調達を行い現地へと移動させています。PL教団に係わるせわしない財務的動きも、この一つです。 

本来日本国は仏教を中心とした学問、宗教の普及を中心としてきましたが、この中核的役割を果たしてきたのが東西の本願寺です。この東本願寺のなかから、大陸由来(中身はユダヤ原理主義)の宗派が、日本における存在価値を危うくされ反発した時期が在ります。江戸幕府開設以降の鎖国政策が決定された時期です。これに対抗する為に出来たのが『萬福寺』です。欄干には卍崩しのデザインが多用されております。この動きの資金元となったのが冷泉家です。その後、これら卍党一派は、本願寺のみならず、他の宗派内にも多く存在するようになっております。これが大本の根っこです。当然、紅卍もこうした延長線上に存在しているのです。 

皆さんが、こうした動きに巻き込まれる事がない様、知らずに加担する事がない様、ここに現在進行形の情報を公開致しました。




出てきましたね~^^;


それと、面白いコメントもあるのでこれも~↓↓↓




>紅卍は漢人でしたか・・・。 

以前このブログ内で、漢人の一部が朝鮮半島で漢氏(あやうじ)となり、日本の京都綾部市(あやべ)に移住、ここが大本の本拠地になった事をコメントで説明してあります。




キタ~~~~~、大本~~~~~~~~~~~~~~~^^;;;


以上~^^