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S氏(名無し先生)のコメントで興味深いのがあったんで~↓↓↓
軍事戦争と経済戦争
WW1及びWW2に代表される、近代の大きな軍事戦争は主に領土戦争でした。
これらと関連は持ちますが,別の基準で展開されるのが経済戦争であり、
言い方を変えれば通貨基軸戦争といっても過言ではないのです。
ポンド基軸の金本位制から、ドル基軸の金本位制へと移行し、変動相場制に移行したのが1973年。
この間の時期にWW2が、あった訳です。
WW2後の日本国における通貨戦争の一局面を御紹介します。
戦後の日本を統治していたGHQの総司令官であったマックアーサーの日本国通貨に関する政策は、Bドルと言われる米国軍票を日本全国で普及させる事でした。
つまり彼の通貨政策が進んでいたなら、今頃日本国の円通貨は無くなっていたのです。
そして、このBドルという軍票は、ドルの様でありながら、ドルでない、その後他の通貨に変更し得る約束手形の様なものであった訳です。
可能性としては中国の元通貨や当時で言えばポンド通貨やマルク通貨、今で言えばユーロ通貨にも変更し得る物であった訳です。
マックアーサーが、こうした施策を展開しようとしたした背景は、彼の一族の出身地であるアイルランドに深く由来しております。
リーガン大統領も、同じアイルランド出身の一族
です。
ご興味のある方は、アイルランドと英国本島であるイングランドの長きに渡る確執、オランダ王室オラニエ(オレンジ)公とアイルランドの関係、特にオレンジ革命との絡みをお調べ下さい。
こうした、円通貨が無くなり、通貨の独立性、しいては経済の独立性を損なう危機をWW2以前から察知し行動していた勢力が日本国内にも存在しました。
この勢力に関しては過去コメントで何度か触れてきましたので、今回は割愛します。
マックアーサーが日本国でBドル政策を進めるのと連動し、米国内で敗戦国日本に対する政策を推し進めていた高官たちも居りました。
以前御紹介した日韓合同朝廷の長男が養子に行った先も、この派閥で当時の米国財務長官を務めておりました。
彼を養子縁組の為米国に連れて行ったのが、マックアーサー当人ですから当然の事です。
こうした局面において米国の国際秩序維持派閥と連動し、日本国内Bドル通貨政策に待ったをかけたのは、表面的には吉田茂ですが、彼の優柔不断な態度に後ろから叱咤激励をした白州次郎先生でした。
当然白洲先生も、オランダ国を表面に立てた勢力の、アジア支配、ロシア乗っ取りを見抜き対処した特殊部隊の方々との連携が在ったからこそ取り得た行動です。
こうした経済戦争、通貨戦争は現在でも続いており、現況国際秩序を崩す策謀が頻発しております。日本国民の賢明な判断を期待致します。
なるほど、白洲次郎は寺内親子と中野学校の少数精鋭部隊と繋がってたわけね~^^
寺内親子と中野学校の少数精鋭部隊についてはこのサイトを参考に~↓↓↓
また~
今回はこんなの作ってみた~^^
今回は少し大きめの容器に石で作った階段も付けて、周りにいろいろなコケを貼り付けてみた~^^
こんなの~
こんなの作って遊んでる~www
こんなの~
こんなの作って遊んでる~www
キノコ~
久しぶりに良いナメコが出てる倒木見つけた~^^
結構な量の天然ナメコ採ってきましたわ~^^v
その他には珍しいサンゴハリタケというキノコも~^^
採ってきて食べてみたけど、もう採ってこないかな~^^;
そして、写真は撮ってなかったけど、キナメツムタケを買い物袋に一つ採ってきましたわ~^^
メソバレー予定地を探検してきてみた~www
最近、メソポタミアバレー予定地を見に行ってきた~^^
これが養豚施設近くの入口で、道はあるんだけどこんな状態~^^;
ここから道を進んでいくと左右に道が分かれる~^^
右側が第一開発地への登り道で、左が第二~第四開発地への下り道~^^;
まぁ、このように道は草や笹で荒れ放題で、所々に倒木があって車では入って行ける状態ではない~^^;
右側の登り道はこういう状態~↓↓↓
この道を登っていくと第一開発地方面ね~^^
左の下り道はこれ~↓↓↓
これを下って行くと第二~第四開発地ね~^^;
このように道はあってもこれではね~^^;
この下っていく道はあまりにも笹薮状態になってるんで、今回は登っていく第一開発地方面にだけ行ってみた~^^;
道にはこんな倒木が所々に~↓↓↓
進んでいくと~↓↓↓
ここは右側からの道が合流するポイントで、この右側からの道は北側の西郷村から那須に向かう道路から登ってきた道で、昔は車で入ってこれたんだけど、今は道が荒れていて四駆でも難しいかな~^^;
539m地点ね~^^
その道はこれ~↓↓↓
そして、この合流地点の三枚前の写真の正面の道を直進したあたりが第一開発地でしょうね~^^
そこらがメソバレーの一番高い所かな~^^
でぇ、登ってきた道を戻る最中に、昔来た時に別荘の様な建物が右下の斜面にあったような気がしたんで探してたら、ありましたよ~↓↓↓
おそらく今は使われて無い別荘の様な建物でしたね~^^;
この建物に行くにはどの道を行っても車では無理だと思われるし、最近道を車が走った跡も無かったしね~^^;
もし住んでたりしたら気味が悪い;よね~^^;;;
雑木と笹薮で覆われてて、電気も無い状態なんじゃないかな~^^;
昔はこんなに木も大きくなかったし、この家の周りも笹薮では無くて、道からハッキリと見えてたんだけどね~^^;
この家の下のほうには、養豚施設方面から入ってきた時に左右に別れた道の左側の道があって、その道が第二~第四開発地方面へ行く道ね~^^
そしてその道を進んでいくと水が湧いてて小川になってるわけ~^^
そして、第一開発地あたりからバレーの下のほうを写したんだけど、雑木と笹薮で皆同じ状態に見えるんで、写真は撮ってきたんだけど2枚ぐらいにしておきますわ~↓↓↓
ここらの下のほうに第二~第四開発地が見えるわけですが、今はこんな状態なんで見えません~^^;
この木が伐採されればメソバレーの全貌が見えるようになるんでしょうね~^^
帰りに養豚施設から道を下って行く途中に水が湧き出た小川の中流域があったんで~↓↓↓
この上流で水が湧き出てるってわけ~^^
それと養豚施設をメソバレーの入口のところから撮ったのがこれ~↓↓↓
今回は雨の中行ったんで、ズボンがびしょ濡れ状態になり奥深くまで行くのを諦めたわけですが、昔は車で南側にある宗教施設の近くの出口まで行けたんだけど、今は道が荒れ放題で道を直さないと無理なんじゃないかな~^^;
この山がどう開発されて行くのか楽しみですわ~^^
ちなみに、ここら周辺の山ではこんなキノコが出てましたわ~www
もちろん毒キノコ~www
このキノコは食べられそうなんで採ってきて、少しだけ味噌汁にして食べて実験した結果、腹も痛くならず吐き気も無かったんで食べられるキノコでしたわ~^^v
このキノコはここらの地方ではササモダシって言われてるらしいけど、本当の名前は分らない~^^;
味噌汁より炊き込み御飯にしたほうが良いキノコでした~^^