なるほど~、そういう圧力もあるんだ~^^;;;

今日の夜中に書いたこの記事~↓↓↓
 
 
 
 
この記事に九州の友人からメールでこんなコメントが~↓↓↓
 
 
 
 
 
 
その加藤清正が、朝鮮出兵した時に、武勲を祝って!?
始まった祭で、「ぼした祭」ってのが熊本にあるんだけどさ~。

私の熊本出身の友達が、昔はドーカイドーカイと掛け声を掛けて、
ボシターボシターホロボシターと答えて、ただ、これだけで、酒に良いちくれて、町を練る祭で、
非常にシンプル、且つ、盛り上がる祭だったらしいのだけど・・・。

朝鮮人団体のチャチャが入って、掛け声を変えた。

友達は、まーーーーったく盛り上がらなくなったので、祭も廃れていってるそうでっす。
 
 
 
 
 
 
それで面白そうな祭りなんで調べてみたら~、こんなのがヒット~↓↓↓
 
 
 
 
この中からこんなのを~↓↓↓
 
 
 
 
 
 
[語源]
「ぼした」の語源は、加藤清正朝鮮出兵の帰路、御礼参りに参拝したときのかけ声「ほろぼした」が「ぼした」となまって呼ばれるようになったとか、熊本での男女の交わりをあらわす表現がかけ声になったともいわれるなど、諸説あるそうです。

熊本学園大学で開かれている「東アジア文化論講義」で作家の姜信子さんが、「ぼした祭り」の語源にふれておられます。雑誌「サライ」2000年16号の「ふるさとの祭り暦」というコラムで、永六輔さんが、「ぼした祭り」を取りあげたことをきっかけに、講義のテーマになったようです。

講義では、永さんが同誌に「ぼした祭りは、加藤清正朝鮮出兵を記念して行なわれるようになった。ぼしたは滅ぼしたに由来する。この呼び名をあるとき、韓国からの抗議を受けて、名前を変えた」と、書いておられると紹介しています。

しかし姜さんは、「ぼしたは、万博パレード参加問題が契機となって1970年以降使わないようになっていったものの、1982年に伝統に帰るという名目で復活。

1984年に熊本県内各団体(民団、部落解放同盟等)の申し入れで使用中止になった。ぼしたという言葉を使わなくなったのは、韓国からの抗議のためではない。

ただし、韓国との友好関係を慮ったのは事実」と、書いています。
 
 
 
 
 
 
 
 
民団、部落解放同盟等の申し入れですか~^^;;;
 
 
なるほどね~^^;;;
 
 
しかし、我が国はこの系統の人達に相当やられてますな~^^;;;
 
 
まぁ、僕も熊本のスカイプ友からそれ系の人達の話はよく聞いてますけど~、何でもたいして働いていないのに良い暮らしをされてるとか~^^;;;
 
 
何処かに良い清水が湧いてるんでしょうかね~^^;
 
 
これこそマッカーサーと手下の児玉誉士夫のおかげなんでしょうな~^^;;;
 
 
吉田茂さん白洲次郎さん、もう少し頑張って欲しかったな~^^;