会津の隠れキリシタン~~~^^;

ずいぶん前に~、こんなのを書いた~↓↓↓


http://blogs.yahoo.co.jp/ganganikuze007/40529985.html


なかなか面白いでしょ~^^


ここで書いた会津総鎮守として有名な伊佐須美神社~^^;


この神社は不審火で何度か火災に見舞われてるんだが~、何とか来年から本殿の再建が始まるらしい~^^;


http://www.minpo.jp/news/detail/2013092010985



なんだか出雲神社みたいだな~^^;


この伊佐須美神社と第一原発柏崎原発をセットにして書いてるブログがある~↓↓↓


http://amanohitukukami.blog28.fc2.com/blog-entry-309.html


読んでみると~、なかなか興味深いことを書いてるのだが~、要注意かもしれませんな~^^;;;


この伊佐須美神社宮司になった一人に~、松平健雄という人物がいる~^^;


この人は会津藩最後のお殿様だった松平容保公の次男で~、この人の次男が前に福島県知事を務めた松平勇雄氏だ~^^;


まぁ、松平容保日光東照宮宮司になったくらいですからね~^^;


この家系の人は神社とは仲良しみたいですな~^^;


この会津って地域は昔から隠れキリシタンが多いところで~、このサイトを読ませてもらってると~、なかなか興味深い内容が書かれている~↓↓↓


http://plaza.rakuten.co.jp/aizukirishitan/diary/201308210001/


この中から一部を引用させてもらうと~↓↓↓







幕府の禁令がそのまま逐一、守られていたとは考えません。守られていたかどうかは事実問題です。禁令は、それが出されたことは事実ですが、その内容が守られていたとは到底考えられません。また、保科正之公は松平姓を名乗らず、会津葵の紋をお使いになっていらっしゃいません。保科家が松平姓を名乗り始めたのは、保科松平会津藩第三代藩主松平正容の時からです。

 『八重の桜』に出てきた西郷頼母の先祖も、神保修理の先祖も、高遠以来の家臣です。特に、西郷家は保科家と血縁関係にあります。あの時代の保科松平家の家臣の系図をご覧になると、様々なことを考えさせられます。そして、神保修理の父・神保内蔵助利孝が家老・田中玄清と共に「自刀」したシーンを憶えていらっしゃいますか?1986年にテレビで放映された『白虎隊』というドラマのあのシーンとは明らかに異なっていました。

 あれが会津キリシタンです。ですから、保科正之公以降、会津では殉教者は一人も出ていません。「村の中で完結しているキリシタンはお咎めなし」だったのです。そして、外堀の内側に屋敷を構えていた武家が、戊辰戦争の少し前に帰農したケースがあったことも明らかになっています。小生は、そのお宅の方から、直接、お話をお伺いすることが出来ました。









キリスト教が禁止されてた江戸時代にですぞ~^^;


会津では三大将軍家光の腹違いの弟である保科正行公以降は
殉教者は一人も出ていませんと書いてあるではないですか~^^;;;


普通では考えられないことですが~、そうだったらしいです~^^;


ここらが徳川イエズスと言われるところかは知りませんが~、興味深いですな~^^;


ここに書かれてるNHK大河ドラマの「八重の桜」での神保内蔵助田中土佐の自刀シーンを見て、あれが会津キリシタンだと書いてますね~^^;


確か自分で切腹するのではなく、互いに首の辺りを刺し合ってたんじゃないかな~???


自殺は許されないキリシタンだったからなのかもね~^^;


細川ガラシャも家臣によって斬られて亡くなったような~???


要は会津藩の家老ですら隠れキリシタンだったんですからね~^^;;;


会津隠れキリシタンが多いわけだ~^^;


その隠れキリシタン田中土佐の子孫の一人が左翼から右翼に転向した田中清玄ですわ~^^;


会津はなかなか面白い地域ですな~^^;;;