ほほ~~~^^

今月の初めに暇つぶしをしてきたことを書いた~↓↓↓


http://blogs.yahoo.co.jp/ganganikuze007/40405542.html



よく渓流釣りで行ってた二岐温泉のあの旅館にそんな秘密があったとは~~~ってワクワクしていた~^^


そこで~、16の菊花紋章がある墓を持つ遺跡の住人が~、近江の国からやってきてそこに住み着いた木地師だってことは分かってるので~、木地師ってのは謎深い人達なんだな~~~って思い~、ちょっと興味があったんですよね~^^


もっとも~、板小屋遺跡と二岐温泉付近に入った時代は江戸と平安ですから~、ずいぶん時代が離れていますが~、どちらも近江の国からってことは同じですからね~^^


何気なく歴史を調べてて~、こんなサイトに辿り着いたんですよね~↓↓↓


http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1049


結構長いので~、僕が興味を持ったところを一部引用させてもらうと~↓↓↓







藤原王朝は天孫民族なりというが、どうもこれは妄説である。藤原基経廃帝にされた陽成さまの一族一門が山へ逃げ込み、木地師となって「山がつ」になりたまいし事実もあるが、高貴の出で良であると証明したくて、自分らを放逐した藤の姓を勿体ぶって付けている。それゆえ、その姓を本物と思われてしまい誤られている。




ここでは藤原基経廃帝にされた陽成さまの一族一門が山へ逃げ込み、木地師となって「山がつ」になりたまいし事実もあるがってなってますが~、よく調べてみると陽成ではなく~、文徳天皇の第一皇子である惟喬親王が近江の国の山奥に隠れ住んだ時に轆轤(ろくろ)で木地を加工する技術を編み出したのが始まりとされているそうですよ~^^

分かりやすく書いてあるサイトがこれです~↓↓↓

http://www.biwa.ne.jp/~tam/sansaku/report/31%20kijishi/kijishi.html

このサイトに書かれてあるのを読んでいくと~、またまたワクワクしてしまうことが書かれていました~^^
その部分を引用させてもらうと~↓↓↓



ここは「木地師発祥の地」と呼ばれています。 今から1,100年以上の昔(9世紀後半)、惟喬親王(これたかしんのう) がこの地に隠棲した折、轆轤(ろくろ)で木地を加工する技術を編み出した のが始まりとされているそうです。  惟喬親王文徳天皇(もんとくてんのう)の第一皇子だったにもかかわら ず、皇位を継ぐことができず、この山奥に隠れ住んだそうです。

出家した惟喬親王が創建したとされる金龍寺は、村人から高松御所と崇められたようです



おいおいおいおいおい~~~~~、高松御所だって~~~~~^^
たしか二岐温泉の旅館の「大丸あすなろ荘」っていう名前は高松宮様が考えてくれた名前だって旅館の主人が言ってたよな~~~^^
これって偶然じゃないだろ~~~?????
しかも
二岐温泉周辺に平安時代に入ってきた木地師がご先祖様だってことも言ってたよな~~~^^
そして~、暇つぶしに行った資料館の資料には~、周りの農家の人達との付き合いは無かったとも書いてあった~^^
もちろん、付き合いが無かったっていうことは結婚も無かったってことだから~、ある意味血を守ってたんだろうね~^^
二岐温泉には平将門の平家の落人伝説もあってこれはこれで面白いし~、これだって何の伝も無かったらあんな山奥に逃げては来ないでしょうし~、何か関係がありそうだね~^^
それからさ~、前に買って読んだ落合莞爾氏の明治維新の極秘計画という本に~、会津にも隠し玉が隠されてるようなことを書いてたような~???

二岐温泉は天栄村ですが~、天栄は中通り地方になってますが~、あの地域は僕からすれば会津地方に入りますからね~^^

雪も多いしね~^^;

いや~~~面白くなってきたな~^^
もう少し調べてみよう~~~^^