一神教VS多神教~  No1

デーヴィッド・アイクの情報さんから、この記事を~↓↓↓
 
 
 
 
相変らずバカなことをやってますな~^^;;;
 
 
殺し合いしてて平和になるはずがないでしょうよ~^^;;;
 
 
他宗教徒を殺してしまうってのが一神教の怖さですな~^^;;;
 
 
多神教の日本に生まれたことを感謝したいですね~^^
 
 
そこでこの一神教について、だいぶ前の「株式日記と経済展望」さんの記事で書いているので引用させていただきます~↓↓↓
 
 
***追記***     一度には書ききれないので、2回に分けて書いておきます~^^;;;
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2006年7月31日 月曜日

ユダヤ帽をかぶったブッシュ大統領


アメリカはなぜイスラエルを支援するか? 一神教vs多神教 岸田 秀

一神教は自然に恵まれた幸福な人々の宗教ではない。それは差別され迫害された人々の宗教なのだ。この怨恨こそが、近代ヨーロッパ文明を形成したのであり、その世界制覇を可能にしたのだーーテロに覆われた現代世界の危機を考察して、一神教という特殊な風土病の根源にまでいたるその思考の軌跡はまさにスリリング。唯幻論から出発した岸田秀が到達した包括的宗教批判!

本書では、ユダヤ教の成立、ユダヤ教からのキリスト教の派生、ローマ帝国ひいてはヨーロッパへのキリスト教の普及、イスラム教の発生、近代ヨーロッパの世界制覇などの現象を、それにかかわった人たちの劣等感と、その劣等感から逃れようとする必死のあがきとを鍵として説明している。現代世界においては、ヨーロッパと、そこから派生したアメリカとが中心的位置を占めているが、出発点は、特にヨーロッパ民族の劣等感がひときわ強かったということにあったというのが、わたしの見解である。

 最初の人類は黒人で、アフリカに発生したと一般に考えられている。何万年前かは知らないが、黒人から白子(アルビノ)が大量に発生した。この白子は、毛色が違っていたので、黒人から差別され、疎外され、肥沃なアフリカの地から北へと、貧しい寒冷の地、ヨーロッパへと追っ払われた。そこで成立したのがヨーロッパ民族である。つまり、ヨーロッパ民族は人類最初の被差別民族であった。ここに起因するヨーロッパ民族の劣等感がその後のヨーロッパの歴史を説明する。

 そのヨーロッパ民族の一部が、たぶん黒人だったと思われるエジプト人がつくったエジプト帝国で奴隷として使役されていた。今から三千数百年前、その奴隷たちがモーセという人物に率いられてエジプトから逃亡し、今のパレスチナの地にユダヤ人の国をつくった。このユダヤ人が発明し、信仰した宗教がユダヤ教である。ユダヤ教は人類最初の一神教であり、のちの一神教キリスト教イスラム教はユダヤ教から派生したものに過ぎない。

要するに、一神教は、もともと信じていた部族や民族の固有の神々の宗教を失った被差別者、逃亡奴隷の宗教、追い詰められて現実否認に逃げ込んだ者の宗教であった。多神教の神々がときにはドジをやらかす人間的な神々であるのに比べて、一神教の神が、信者と血縁関係がなく、全知全能神のような現実離れした神、唯一絶対神のような抽象的な神であるのは、そのためである。

 その後、このユダヤ人の国はローマ帝国の植民地になったが、その屈辱的状態に耐えられず、ユダヤ人の一部にローマ帝国の支配に反抗する連中が現れた。彼らはローマ帝国から、そしてローマ帝国服従するユダヤの支配層からも差別され、疎外された。イエスの一派である。彼のユダヤ教批判、ユダヤ教改革がキリスト教となった。すなわち、キリスト教とは、被差別者のなかの被差別者がつくった宗教である。

そのキリスト教がヨーロッパに普及したのは、もともと被差別民族であるヨーロッパ民族に、被差別者の宗教であるキリスト教が向いていたからということもあるが、やはり、ローマ帝国の権力によって押しつけられたということも否定できない。ヨーロッパ民族も、ゲルマン神話などが示しているように、もともとはそれぞれの神々を信じていたのであるが、その神々をあるいは殺され、あるいは追放されて、キリスト教の唯一絶対神を押しつけられたのである。

 アメリカは、少々長ったらしいが、被差別者のユダヤ教の信者のなかの被差別者がつくったキリスト教の信者がつくったヨーロッパ社会のなかの被差別者であったピューリタンが新大陸に逃げたか、渡ったかしてつくった国であり、言ってみれば、三乗の被差別の国である。そのアメリカが、現代世界で、最大の破壊力を有する最強の国であるのは必然である。最も劣等感が強く、最も人類を憎んでいるからである。

 アメリカがイスラエルを支援するのは、最初の被差別者に差別された第二の被差別者に差別された第三の被差別者として、最初の被差別者を支援しているのである。すでにどこかで述べたことがあるが、アメリカとイスラエルとはともに、神に託された使命に基づき、他民族が住んでいる土地に侵入して、他民族を虐殺あるいは追放して建国した国であり、その点でアメリカは自己をイスラエルと同一視しており、したがって、アメリカにとって、イスラエルの正当性が崩れることはアメリカの正当性が崩れることを意味し、断じて、あってはならないのである。

アメリカは、共同幻想としてのアメリカを守るためにはイスラエルを守らなければならない。アメリカがイスラエルを守るのは、アメリカのユダヤ人が大統領選挙に莫大な資金を献上するとか、ジャーナリズムを握っているとかの現実的理由のみによるのではない。アメリカの現実的国益から言えば、イスラエルを守ったところで大してメリットはないし、イスラエルが滅びたところでアメリカは別に困るわけでもない。にもかかわらず、アメリカの国際的評判を落とし、イスラム教徒に憎まれてまでもあれほど必死にイスラエルを守るのは、アメリカの国家としての「自我」にかかわっているからである。

 アメリカに支援された一神教イスラエルが、同じく一神教パレスチナと中東の地で争っている。一神教同士の争いは、互いに現実的利害に基づいて妥協するということが難しく、「聖戦」とか「正義」とか言い張り合って、キリなく続く危険がある。この争いは、両者がともにその一神教を克服するまで続くのではあるまいか。一神教の克服は、単にアラブとイスラエルとの問題ではなく、人類全体にとっても、今後の最大の問題ではなかろうか。

岸田 秀
1933年香川県生まれ。精神分析者。早稲田大学文学部心理学専修卒。和光大学人間関係学部教授。人間は本能の壊れた動物であり、幻想や物語に従って行動しているに過ぎない、という唯幻論をもとに、個人の神経症や性の問題のみならず、文化・社会・歴史の問題など幅広い分野にわたって考察する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


カスタマーレビュー 大胆だが説得力はある Noboru

ユダヤ教キリスト教と西洋文明の関係を鋭い洞察力で論じている。対話だから、肉付けや裏付けは不十分だが、骨子は一貫性があって、説得力がある。

 一神教は、迫害され恨みを抱いた人々の宗教である。一神教の元祖であるユダヤ教は、迫害されて逃亡した奴隷たちの宗教、迫害され差別された人々の宗教だったために恨みがこもっている。ユダヤ民族は、出身がばらばらの奴隷たちがモーゼに率いられてエジプトから逃亡する過程で形成された「民族」で、同じくユダヤ教自体も、その逃亡過程でエジプトのアトン信仰の影響を受けながら、純粋な一神教へと形成されていった。

 一般に被害者は、自分を加害者と同一視して加害者に転じ、その被害をより弱い者に移譲しようとする。そうすることで被害者であったことの劣等感、屈辱感を補償しようする。自分の不幸が我慢ならなくて、他人を同じように不幸にして自分を慰める。

 多神教を信じていたヨーロッパ人もまた、ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し付けられて、心の奥底で「不幸」を感じた。だから一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、自分たちが味わっている不幸と同じ不幸に世界の諸民族を巻き込みたいというのが、近代ヨーロッパ人の基本的な行動パターンだったのではないか。(その行動パターンは、新大陸での先住民へのすさまじい攻撃と迫害などに典型的に現われている。)

 ずいぶん乱暴な議論と感じられるかも知れないが、実際は聖書や他の様々な文献への言及も含めて語られ、かなり説得力があると感じた。これがさらに学問的な肉付けにともなうなら衝撃的な理論になるだろう。

 著者は、一神教を人類の癌だとまでいうが、それは一神教の唯一絶対神を後ろ盾にして強い自我が形成され、その強い自我が人類に最大の災厄をもたらしたからだ。

 さらに一神教は、世界を一元的に見る世界観であり、その世界観がヨーロッパの世界制覇を可能にした。まずは、キリスト教化されたローマ帝国が、キリスト教を不可欠の道具としてヨーロッパを植民地化した。そのキリスト教によって征服されたヨーロッパが、それを足場にして世界制覇に乗り出したのだという。

 岸田は、自我というのは本能が崩れた人類にとっての必要悪であり、病気であるという。強い自我というのは、その病気の進行が進んでいるとだ。だとすれば、必要悪である自我を、あまり強くせずいい加減な自我を持ったほうがいい、つねに自我を相対化し、ゆとりのある多面的な(多神教的な)自我のほうがいいという。