あらららららららららら~~~~~^^;

昨日こんな記事を書いたばかりですが~↓↓↓




でぇ、匿名党の記事を読んでたら~↓↓↓




青森の三沢に米軍基地がある意味が分かりますな~^^


十和田湖の近くの新郷村にはキリストの墓なんてのがあったりしますしね~^^;




そして、青森についてはこのサイト~↓↓↓




特にここら~↓↓↓




そして、以前添付させていただいたブログの主役でもある上田吉松。

彼は、笹川良一を作った後、もう一人の子供を作ったとされる。それが畑中理である
笹川良一と畑中理、更にもう一人の人物を含め、3人で青森県にある現在も存在している老舗旅館にて、朝鮮半島について話あったと言われる。(もう一人の人物は誰かいまだに不明である。)

余談ではあるが、先の出口王仁三郎大本教であるが、
くしくも大本教青森県で始まっている。(京都府の綾部や亀岡が発祥といわれているが実際は青森である。)

ここでも畑中理、出口応仁三郎と二人の不思議な符号を見ることが出来ると思われる。

話は脇道にそれたが、
先ほどの畑中理だが、
北朝鮮問題に詳しい方にとっては有名な人物であり、朝鮮名をキムチャック(金策)という。

つまり
金日成が表なら金策(畑中理)は裏
である。

そして彼こそが北朝鮮建国の父であり、推測の域になるが、金正日の父である。

補足ではあるが、
金策の死後「共和国英雄」とされた彼の功績をたたえ、出身地に近い城津市は、1953年に金策市に改名された。
また、金策製鉄所(清津市、清津製鉄所(旧日本製鐵清津製鉄所から改名)、金策工業総合大学(平壌市、平壌工業大学から改名)、金策軍官学校(第二軍官学校から改名、現・金日成政治大学)も改名されている。

1956年に設立された空軍の教育機関金策航空大学(清津市)と命名された。

私の先生に聞いた話ではこの金策市、いまでも沢山の日本人が住んでおり、日常語として日本語を普通に話しているという事である。
また北朝鮮のミサイルが発射されているのもこの付近からである。



ここまで書けば、北朝鮮とはなんだったのか?その片鱗が少しだけ見えてきたと思われる。

では、大東亜戦争とは何であったのか?

そして上田一族とは何者なのか?

近々、その辺についても書いてみたいと思う。





牧口常三郎戸田城聖、時代の創価学会と今の創価学会は名称こそ同一であるが、今では全くの別物にかわってしまったと考えてもらいたい。





例の宗教が青森でね~^^;;;


アメちゃんもタカタを攻撃するわけですわね~^^;