さて~、詳しい解説~^^;

まずは先日の記事から~↓↓↓
 
 
 
 
隠れキリシタンの里訪問の話ですが、先日は疲れていて詳しいことを書かずに写真だけUPしてました~^^;;;
 
 
先日の記事の一番目の写真は、南会津(旧田島)町福米沢という地区にある石造子安観音(マリア観音)坐像がある御堂です~^^
 
 
詳しくは下の二枚の写真を見てね~↓↓↓
 
 
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イメージ 2
 
 
 
これがマリア観音ですよ~↓↓↓
 
 
イメージ 3
 
 
 
ちょっとピンボケですが、頭に十字架がありますよね~^^
 
 
隠れて信仰してたわけですから、こんなにハッキリと分る十字架があるのは珍しいですよね~^^
 
 
マリア観音は1970年頃までは今とは違う場所にあったそうで、頭は頭巾に包まれてたそうですから、そうすることによって十字架が隠されていたんでしょうね~^^;
 
 
次に先日の二枚目の写真のカトリック教会は、マリア観音の西200mぐらいの同じ地区にあるもので、1873年(明治6年)にキリシタン禁制が解除され、1883年には福米沢でキリシタンが復活し、1935年に喜多方カトリック教会堂を信者らの寄付で移設したんだそうですよ~^^
 
 
こういうことから、福米沢地区は隠れキリシタンの里だったんでしょうね~^^
 
 
次に先日の記事の三枚目の写真は、下郷町音金地区にある観音様で、特に右側の如意輪観音に注目していただきたい~^^
 
 
普通の如意輪観音は、右手で頬杖をつき右膝を立てて座る(輪王坐)そうなんですが、この如意輪観音は逆なんだそうです~^^;
 
 
こういう普通とは逆に作られてる観音様のような物には、隠れキリシタンを研究してる人達は注目してるんだそうですよ~^^
 
 
四枚目の写真は、同じ音金地区にある十字架を思わせるような窓があるキリシタンの墓石と言われてる物だそうです~^^
 
 
他にもこんな墓石がありました~↓↓↓
 
 
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十字架に見えますね~^^
 
 
この墓石には湯田家と彫られていましたね~^^
 
 
ユダさんですよ~、意味深だな~~~^^;
 
 
実はここ音金地区を訪問する前に、旧田島町の栗生沢地区を訪れていたんですが、この地区も隠れキリシタンの里だったと噂されてる地区で、湯田さんという苗字がほとんどだそうです~^^
 
 
会津地方には湯田という苗字が多いんだそうです~^^
 
 
この栗生沢地区でもマリア観音が発見されてるそうですよ~^^
 
 
そして五枚目の写真は、下郷町中妻地区にある中ノ沢観音堂です~^^
 
 
ここを訪れた時は、雷が近くに落ちたようでビクビクしながら写真を撮ったのでピンボケですわ~^^;;;
 
 
実は僕が会津隠れキリシタンに興味をもったのは、会津地方ではないんですが、天栄村の羽鳥高原にある板小屋遺跡を知ってからなのです~^^
 
 
この板小屋遺跡については以前書いたんで、これを参考にしてください~↓↓↓
 
 
 
 
ここ板小屋遺跡も、会津の領主蒲生氏郷近江国(現在の滋賀県)から入部した際、漆器職人と共にやって来たといわれてるんで、もしかするとここの住民も隠れキリシタンだったんでは~???って思ってから興味が出てきたわけです~^^
 
 
もしかしたらサンカかな~???とも考えてみたんですがね~^^
 
 
そしていろいろと検索してて、「会津キリシタン研究所」というサイトを見つけ、勉強させてもらいました~^^
 
 
これがそのサイトで、中妻の中ノ沢観音堂について書いていますので読んでみてください~↓↓↓
 
 
 
 
そして、最後の屋根に卍があるお堂とは、下郷町から昭和村に抜ける道をどんどん奥に走っていくと、日影という集落があり、そこにあるお堂と近くにある供養塔、六地蔵、観音様です~^^
 
 
こんな所を走っていくのですよ~↓↓↓
 
 
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このお堂の屋根にある卍は普通の右卍なんだそうですが、真ん中の供養等の上部にある卍は逆なんだそうです~^^;
 
 
音金地区の如意輪観音と同じで、普通の物とは逆なので、やはり隠れキリシタンの信仰だと言われてるそうです~^^
 
 
今回は会津地方の南会津地区だけを訪れてみたんですが、会津地方の他の地区にも隠れキリシタンの里があるようなので、暇があったら訪れてみたいと思います~^^
 
 
今回は真面目に書いてみました~^^v
 
 
あぁ~~~~~~~~~~疲れた~~~~~~~~~~^^;;;